おすすめ本を料理のフルコースに見立てて選ぶ「本のフルコース」。
選者のお好きなテーマで「前菜/スープ/魚料理/肉料理/デザート」の5冊をご紹介!

第528回 BOOKニュース:自費出版『としの百年物語』

としさんとお花

原稿用紙108枚分の自伝を書き上げた北海道由仁町の井村利さん。ひ孫を含む総勢41人の親族から花束を贈られた。画像提供:内倉真裕美さん

【BOOKニュース】ある自費出版のカタチ
5年越しの自伝執筆を家族がサポート!
由仁町・井村利さん94歳のファミリーヒストリー

[2021.9.27]

94歳で175枚の自伝を執筆!手書き原稿を娘が入力

「ばあちゃんが、なんか書いてるぞ」
恵庭市在住のガーデンプランナー内倉真裕美さん(旧姓・井村さん)が、由仁町に住む兄の井村勇夫さんからそう告げられたのは2016年のことだった。

「ばあちゃん」とは、真裕美さんと勇夫さん、そして井村家3人兄妹の長男・井村正則さんの母親である井村利(とし)さんのこと。
大正から昭和に年号が変わった1926年の12月4日生まれ。当時90歳の「としさん」がある日突然、自伝を書き始めたというのである。

そこから5年の歳月が過ぎ、原稿用紙108枚にわたって綴られたとしさんの一代記は2021年10月、ようやく自費出版という形で世に出ようとしている。
8月23日には総勢41人の親族が参加した『としの百年物語』出版記念オンラインパーティーも開かれた。

コロナ禍の中、ステイホームの時間を自伝や趣味の短歌の執筆に費やした人が多く、自費出版本市場がやや活気づいたという話は耳にしたことがあるが、この『としの百年物語』の場合は少し様子が違うようだ。
本書の「編集長」も務めた真裕美さんに出版に至るまでの道のりをうかがった。

書店ナビとしさんが自伝を書き始めるきっかけは何だったんでしょうか?

内倉これは以前、冗談半分に聞いていたことなんですけどね、2011年の朝ドラにファッションデザイナーのコシノ3姉妹を育てあげた小篠綾子さんを主人公にした『カーネーション』ってありましたでしょ?
あれを見ていた母が「私の人生はこれよりも面白い!」って言うんです(笑)。「面白く書ける!」って。

その前の年に父の勇三が84歳で亡くなり、母一人の時間が増えたことも自分の人生をふり返ってみようという気持ちにつながったんだと思います。
気がついたら書き始めていて、あるとき「本を出したいから、ちょっと来て」と呼ばれた私が、としさんの手書きの原稿を持ち帰ってはパソコンに入力する、そんなやりとりが数年間続きました。書き始めたのは母が90歳のときでした。

としさん家族写真

父は岡野武次郎、母はふじ。6人兄姉の末っ子に生まれたとしさん(写真左端)。

生原稿

1926年北海道池田町生まれのとしさんが6歳の頃、一家は朝鮮半島に移住。父親は当地で亡くなり、終戦の1945年に母子たちは帰国した。

書店ナビ90年の歩みを書き続けるとしさんのパワーもすごいですが、真裕美さんの入力作業も「ただ闇雲に打つのではなく中身も読みながら」となると、実は大変な作業ですよね。

内倉そうなんです!母は若い頃タイピストだったこともあるからか、使っている漢字が難しいものばかり。「これ、なんて読むの?」と聞くところから始まりました。

朝鮮半島時代は鴨緑江を挟んで中国と向かい合う新義州というまちで暮らしたそうですが、私はあちらの地理どころか文化・風習もわからないので「オンドル」(朝鮮半島の伝統的な床暖房)とか「川が凍った」と書いてあっても、それが実際にどういう場面を説明しているのかがわからない。
それらの疑問を耳が遠い母にひとつひとつ確認していくのがひと苦労でした。

四姉妹

四姉妹と兄が一人。末っ子で皆に可愛がられた思い出も綴られている(左から二人目がとしさん)

書店ナビ終戦後、北海道に帰ってきてからとしさんは井村勇三さんと結婚し、3人の子宝に恵まれます。勇三さんは土地改良区という法人団体の職員だったとか。どんなお父さんでしたか?

内倉かなりトンでるひとでした(笑)。社交家で人づきあいがよすぎて、いつまでも子どもみたいなところがあって…そんな父と暮らす母はきっと一番の"被害者"だったと思います。
でも、子どもたちの前で父の悪口を言ったことは一度もありませんでした。亡くなってからは、その反動が来ましたけども(笑)。それも本音は、寂しさを紛らわせるためだと思います。

結婚写真

勇三さんが21歳、としさんが20歳のときに結婚。勇三さんのひとめ惚れだった。

「父さん見ていますか?わたし、書いちゃいましたよ」

書店ナビ「はじめに」の原稿を読んだだけで、としさんのことが好きになりました。一部抜粋します。

回想の中に、必ず出てくる父さんは、死んじゃっているはずなのに「本当にもう…」というくらい、生きているままの姿で、私を苛立たせます。九十歳になったとき、この気持ちを残したいと思い立ちました。 (中略)
父さんは外面が良くてお人好しなもんだから、人に騙されても認めなかったこと。妙に面倒見が良くて、たまに良いことを言うもんだから、ついこっちもほだされちゃって憎めないところもあったこと。

そんな中で三人の我が子を育て、可愛かったこと。成長を見るのが楽しかったこと。心配したこと。
三人が成人して、それぞれにお嫁さんとお婿さんが出来て安心したこと。そしてどの子も、みんなが働き者で優しくて、いい子ばかりだったのでホッとしたこと。三人の子供たちにはそれぞれ三人の子が生まれて、九人の孫が出来て、みんな可愛いかったこと。
孫九人の結婚式に参列して、その孫全員に子どもが出来て、今、全員で何人いるんだろうと指を折って数える日々。

なんとまぁ、私も入れて四十一人になったそうです。
(中略)
書き上げて私はとてもスッキリしました。あれだけ腹を立てていた父さんの事も、もうどうでも良くなりました。腹を立てたら寿命が縮まるものね。
結局、私は幸せ者です。

天国に旅立ったみなさん、そして父さん見ていますか?
わたし、みんなのこと、書いちゃいましたよ。

井村 利 九十四歳

金婚式

金婚式の勇三さん・としさん。勇三さんはお正月になると家族の記念写真を撮り続けた。それは今も、としさんを囲んで井村家の恒例行事となっている。

内倉途中で母も書くのが疲れてきたんでしょうね、話が現代に近づいてくると「ここから先は真裕美も知ってるでしょ。あとは書いといて!」なんて言われたこともありましたが、なんとか本人が頑張って最後まで書き終えたようです。
私の方は母から預かった原稿の入力を全部終えると、次は兄妹3人が集まって編集会議です。話を時系列に並べ替えたり事実関係の裏を取ったりして、最後まで読める形に整えていきました。

出版社選びは、せっかく自費出版するなら書いた内容をそのまま載せるのではなく、ある程度編集してくれる面倒見がいいところがいいと思い、ネットで調べて評判がよかった大阪のパレードブックスさんにお願いしました。

本文のテキストデータを添付して「こういう内容の母の自伝を作りたいんです」と問い合わせたところ、校了まで三回校正があるとか、カラー写真を掲載できるオプションがあるとか丁寧に説明してくださって、「ここだったら安心してお願いできそう」と思えたのが決め手になりました。
あと、担当の方が札幌出身と聞いて、親近感が持てたことも大きかったですね。

孫ちゃんと

徐々に増えていったとしさんの孫、ひ孫たち。「実は先日もう一人増えまして、井村ファミリーは42人になりました!」(真裕美さん)

リモートで出版パーティー!孫作成の動画で大盛り上がり

書店ナビ自費出版にはいろいろな形があり、ライターが聞き取った内容をご本人の一人称で書くというパターンもありますが、『としの百年物語』の場合はご本人が生原稿を書き、真裕美さんを中心にご家族が編集協力をする、という《井村家ファミリープロジェクト》で進んだところが非常に珍しいと思います。

内倉としさんは60歳の定年後に、次男の勇夫と一緒に蕎麦屋を開くために一から蕎麦修行をしたくらいの働き者ですし、私たち兄妹全員も自営業の商売人。
「自分たちでなんとかしちゃおう!」という気持ちが強く、親族全員がお祭り好きなんです(笑)。

今年の8月にも親族が集まって、ちょっと早い出版パーティーを開く予定だったんですが、北海道の緊急事態宣言でリモートに切り替えました。
私の息子の大輔と娘の小百合が原稿を要約した約30分の動画を作ってくれて、当日は大盛り上がり!としさんもすごく喜んでくれました。

オンライン1

オンライン2

事前に親族のLINEグループで「一家族につきA4サイズの紙にとしさんへのお祝いメッセージを書くこと、花束を用意すること」など"真裕美編集長"からの指示を皆が共有。準備万端のオンラインパーティーが開催された。

手を振るとしさん

スクリーン越しの親族に向かって手を振るとしさん。由仁町の「そば処 井むら」を次男の勇夫さんと昭和62年に開店。厨房から引退した今も毎日、店の売上をパソコンに入力している。

表紙

『としの百年物語』は四六判。カバーにはひ孫たちが描いてくれたイラストを使用。家系図や井村家年表、カラー写真も満載の175ページに仕上がった(Amazonで販売予定)。

内倉実はパーティーの段階ではまだ本は校正途中で、実際には10月中に完成予定です。うちは大家族なので親族に配るだけでも100冊以上になりますし、身近な方々に知っていただく程度の小規模をイメージして、全部で200部印刷することにしました。

書店ナビ編集長として、娘として、としさんの執筆を一番近くで見守った真裕美さん。今どういうお気持ちですか?

内倉本づくりを通して真っ先に感じたことは、母が90年の人生をかけて自分の両親から受け取ったものを全部私たちに与えてくれていたんだなということ。
この本に載せるために井村家の家系図を形にすることもできましたし、母のおかげで「人間ってずっとつながっているんだな」ということを心の底から実感することができました。

このことは、動画を作った私の娘、息子たちも感じ取ってくれているみたい。実は本の中でね、母が若いときに一度だけ、父との離婚を考えたことも包み隠さず書いていて、それを読んだ息子が「このとき、ばあちゃんが踏みとどまってくれなかったら、俺たちは今ここにいないんだよね」って言ってました。笑い話だけど、でも、本当にその通り。

人って一瞬の出会いでつながって、それがこうやって次の世代を生み出していく。「人ってすごいな」と改めて、としさんから教わりました。
母の娘に生まれて、私も幸せ者です。これからも元気でいてほしいですね。

母娘

リモートパーティが終わったあと、としさんは「今度はもっと面白いのが書けるね。たくさん売れたらさ、山分けしよう!」と絶好調。来年の井村家の正月写真もひときわ明るい笑顔が集まりそうだ。

注目記事
(株)コア・アソシエイツ
〒065-0023
北海道札幌市東区東区北23条東8丁目3−1
011-702-3993
お問い合わせ