Vol.190 映画作家・映像ディレクター 吉雄 孝紀さん
長らくニュース番組を制作してきたUHB報道部をこの春“卒業”し、フリーランスになった吉雄さん。
[本日のフルコース]
ニュース特集300本以上を制作!映像ディレクター吉雄孝紀さんの
「人生というドキュメントに向き合う本」フルコース
[2021.5.10]
書店ナビ:小樽商科大学時代に脚本・監督を手がけた劇場映画『へのじぐち』(1990年/35ミリ/91分)の公開以来、約30年間の長きに渡り、映像制作や上映活動に関わってきた吉雄孝紀さん。
写真のまち、東川町の看板イベント「写真甲子園」の立ち上げや札幌市の地下鉄自衛隊駅前にあったミニシアター「屋台劇場まるバ会館」の主宰を経て、2004年からはUHB北海道文化放送の契約ディレクターとしてニュース特集を制作。
2021年4月にはフリーランスの映画作家・映像ディレクターとして新たな一歩を踏み出しました。
高校時代から映像制作にハマったきっかけは何だったんですか?
吉雄:1980年代当時「ぴあフィルムフェスティバル」という新人発掘に力を入れた自主映画のコンペが盛り上がってまして、その入選作品の上映会に行ったりしているうちに徐々にのめり込んでいったという感じです。
あの頃で8ミリフィルムの機材を一式揃えるとしたら中古でも15万円くらいしたかな。新聞配達のアルバイトで買い揃えました。
僕の映像関係の師匠は二人いて、後ほど《前菜》本で出てくる写真家の勇崎哲史さんとUHBのカメラマン出身でプロデューサーになられた細谷哲男さんです。
勇崎さんは東川町の「写真甲子園」を考えた人で、僕は彼の会社で写真やイベント企画について学びました。細谷さんは僕をUHBに誘ってくれて、ニュースやドキュメンタリーの制作について教えていただきました。
二十代の頃、東京に行こうか札幌に残るか迷った時期もありましたが、勇崎さんや細谷さんのような個性的で魅力的な大人が周りにいちゃったもんだから、札幌でこそ自分がやりたいことができると思えた。今振り返るとありがたくもあり、罪深い二人です(笑)。
書店ナビ:今年55歳の吉雄さんも次の世代に影響を与える側になりました。このタイミングでフリーランスの道を選んだ理由は何でしょう。
吉雄:今、映像制作はYouTuber時代になり、でもこれってよく考えると僕ら世代の自主映画の作り手が思い描いていた理想の世界なんですよね。
高い撮影機材を揃えられる制作会社だけが撮るんじゃなくて、個人がスマホで撮ったものを世界に向けて発信できる。
50代になってこの時代に巡り合い、僕も作家としてもうひと勝負してみたくなりました。今日はそんな僕の根っこを作ってくれた5冊を持ってきました。
[本日のフルコース]
ニュース特集300本以上を制作!映像ディレクター吉雄孝紀さんの
「人生というドキュメントに向き合う本」フルコース
前菜 そのテーマの導入となる読みやすい入門書
- 大神島 記憶の家族
勇崎哲史 平凡社 - 1972(昭和4)年5月15日の沖縄本土復帰から満20年の1992年に発刊。北海道出身、現在は那覇在住の写真家が三度撮影した宮古群島大神島、全23世帯の20年。優しく孤高な人々の家族写真集。
吉雄:先ほど紹介した勇崎さんは写真家で、いろいろアイデアを持っている人だったので札幌でゼプラプラネッツという制作会社を経営していました。僕はそこに6年間勤めていました。
今では全国的に知られるようになった東川町の「写真甲子園」も、勇崎さんのアイデアです。僕も1994年の第一回から関わって創成期の盛り上がりを見てきました。
勇崎さんが専門学校生だった1970年代に宮古群島の大神島(おおがみじま)に着の身着のままで行き現地をフラフラしていると、島のおじいちゃんおばあちゃんたちに「あんた、どうしたの?うちに寄って行きなさい」と招き入れてもらい、写真を撮らせてもらいます。
実はこの体験こそが、東川町の写真甲子園の原風景なんです。高校生が困っていると、東川町の農家のおとうさんたちが「どうした?何、写真かい?いいよ、撮りなさい」と言ってくれて、写真を介して両者の間に交流が生まれる。そんな写真が持つ力で成り立っているイベントが今も続いていることが本当にうれしいです。
勇崎さんはその後、辞めていた写真を復活し、もう一度大神島に戻ってあの時撮らせてもらった家族を再び撮影します。でももう20年近くが過ぎていましたから、さまざまな事情で家族も家を離れ、お亡くなりになった人もいた。
その様子があまりにも寂しかったので、勇崎さんはもう一度行く。3回目はお正月に行くんです。そうすると出稼ぎ組や遠くにいる家族が皆戻ってくるので、ようやく家族写真らしいものを撮ることができた。その変遷を並べた写真集が『大神島 記憶の家族』です。
勇崎さんは那覇に移住後、写真教室を開いた。教え子には2015年に弱冠30歳で木村伊兵衛賞を受賞した石川竜一さんもいる。「4月に勇崎さんや石川君に会ってきました」
吉雄:僕が勇崎さんから学んだことは、あきらめないこと。写真甲子園の延長で写真展の準備をしていたときのことです。何百点もの写真を額装するって実は何十人ものスタッフが不眠不休で取りかかる大変な作業なんです。
もうみんな、必死にやっているのに、そういうときに限って勇崎さんが「吉雄くん、この写真とあの写真さ、場所を入れ替えたほうがいいよね。いやあ、そのほうがいいと思うんだよなあ」と僕にだけ言うんです(笑)。
そのときは「マジか?」と思いましたが、言って嫌われても作家の意志を貫き通す。最後までどうやったらもっとよくなるかを考える作家の粘り腰を見せつけられました。
今も映像の編集作業中に「このへんでいいか」と思いそうなときに「いや、勇崎さんならしつこくまだ粘る!」というのが頭をよぎります。
スープ 興味や好奇心がふくらんでいくおもしろ本
- 「二流の人」 『白痴・二流の人』収録
坂口安吾 KADOKAWA - 2014年に岡田准一主演で大河ドラマにもなった黒田官兵衛(黒田如水)を描いた歴史小説。豊臣秀吉、徳川家康ら時の天下人に仕え、知将として一目も二目も置かれた官兵衛だが、一流の天下人たちとどこが違うのか、坂口安吾独自の視点であぶり出す。
吉雄:普段あまり時代小説を読まないんですが、これだけは何度も読み返す。不思議な魅力を持った一編です。
タイトルの「二流の人」とは著者の坂口安吾が戦国時代の武将、黒田官兵衛のことをそう言ったもの。信長、秀吉、家康というあの時代のスター武将が揃った戦乱期を生き抜いた人ですが、その器たるや、天下人と比べると今一つ劣っている、二流であると安吾は分析します。
その欠点の一つとして、一言多い、と言うのは僕もちょっと身に覚えがあるので共感します(笑)。信長が謀反にあった本能寺の変直後に官兵衛は毛利征伐に赴いていた秀吉に「中国大返し」を進言しますが、秀吉はそれを聞いて官兵衛の知略に唸ると同時に敵意も抱きます。こいつは、油断がならないぞと。
人間がどこで評価されてその後の地位や立場を作り上げていくか、あるいは足下が崩れ去っていくのかは本当に紙一重というか、危ういもののような気がして、この本を読むとその機微がよくわかります。
しかも自分が年を重ねれば重ねるほど「そうだったのか!」と気づくことも多く、“個人対集団”のことを考えるときにすごくヒントをもらえます。
魚料理 このテーマにはハズせない《王道》をいただく
- 生きて帰って来た男 ~ある日本兵の戦争と戦後
小熊英ニ 岩波新書 - 歴史社会学者の著者が自身の父・小熊謙二(1925~)の人生を通して「生きられた二〇世紀の歴史」を描き出す。シベリア抑留から帰国後、流転の人生を送った父の言葉から戦前・戦中・戦後の日本の生活模様が浮かび上がってくる。2015年の第14回小林秀雄賞受賞作。
吉雄:著者のお父さんの謙二さんは、決して社会的な地位が高かったとか学者みたいなインテリ層にいたとかではなく、ごくごく普通の真っ当な暮らしを紡ぐ一庶民です。
よく戦前から戦中、戦後の日本の光景と言うと、僕らが映画や小説で見聞きしたもので知ったつもりになりがちですが、この本にはそういう物語世界では触れられてこなかった細部がしっかりと描かれています。
例えば謙二さんがシベリアから帰国後、流転の生活を経て「立川スポーツ」と言う会社を立ち上げるんですがその自営業が大きくなっていく様子や、晩年は自分と同じようにシベリア抑留捕虜だった在日韓国人の戦後補償裁判に協力するとか、他では読めないリアルな戦後の姿が浮かび上がってきます。
書店ナビ:そう言う体験談は、ややもすると少しドラマチックに語られがちですよね。
吉雄:ですよね。でも謙二さんは非常に落ち着いた観察眼で自分や身の回りのことをご覧になっていて、ベタベタした感傷がないからこそ余計に真実味を感じます。
著者の小熊さんも現役の社会学者としてすごくいいお仕事をされている方なので、その分析力も面白くて新鮮です。
新書にしては分厚いなと思いましたが読み始めたらスルスルと進み、日本は一体どこで間違えたのか、考えさせられる一冊です。
肉料理 がっつりこってり。読みごたえのある決定本
- 小川紳介 映画を穫る ~ドキュメンタリーの至福を求めて
山根貞男 筑摩書房 - 小川紳介(1935年~1992年)は日本のドキュメンタリー映画監督であり、山形国際ドキュメンタリー映画祭創設の提唱者。1966年『青年の海 四人の通信教育生たち』を自主製作した後に小川プロダクションを設立。「三里塚シリーズ」ドキュメンタリー映画7作を残した。
吉雄:小川さんが亡くなる前に一度、山形でご本人にお会いしたことがあるんですが、この本はタイトルが実に素晴らしくて、「撮る」ではなく田んぼのお米を穫るの「穫る」。ここに小川さんのドキュメンタリー映画作りの姿勢が凝縮されていると思っています。
発注されて作るものではなく、自分で題材を探して自分の資金で制作する。そして自分の足で日本各地の大学を回って16ミリフィルムの作品を上映する。
その小川さんたちの活動が「自主上映」というスタイルが世に定着させた走りだと思います。
おこがましいかもしれませんが、僕もUHB時代は8分前後のニュース特集とはいえ短いドキュメントだと思って番組を16年半作り続けてきたつもりです。撮って人に伝えるという仕事をしている以上、小川さんは憧れの人。
また僕はちょっとしたご縁がありまして、94年に『食器を洗う男』という16ミリの短編映画を撮ったときにその録音作業は北海道ではできなくて、東京の荻窪にあった小川プロでポスプロをやらせてもらったこともあります。
「『1000年刻みの日時計』は222分という長尺ですが、最後まで見せきる作品。最初は科学番組みたいで一本の苗がどうやって育つのかから始まり、そのうちにドラマ仕立てになって昔の農民一揆を実際に村民の方々に再現してもらうんです。その地域をめぐるいろんな記憶や現実が錯綜して、“村の時間”という宇宙を作る。金字塔のような作品です」
吉雄:小川さんは後半の人生を山形に捧げました。僕も今、北海道で映像制作に関わっていると小川さんのような人材がいかに稀少な存在かがよくわかります。
地方や地域にこだわって映画を作り続けた小川さんの生き様にも希望を感じています。
デザート スイーツでコースの余韻を楽しんで
- ゲンロン戦記 「知の観客」を作る
東浩紀 中央公論新社 - 批評家・作家の著者は「数」の論理が支配するネット社会に対し2010年から新たな知的空間を目指して株式会社ゲンロンを起業。ゲンロンカフェ開業、思想誌『ゲンロン』刊行、有料記事サイト「ゲンロンα」・有料動画配信チャンネル「シラス」開設を経てたどり着いたあずまん流哲学とは?
吉雄:これからの時代にどうやって映像制作や動画配信を展開していくか、そのヒントを考えるうえで著者の活動が気になって読んでみました。
東さん曰く、今のYouTubeの世界はバズった分だけより大きな力を得られる「数」の論理が支配していると、それは僕たちにもなんとなくわかっていることですよね。
ただ、いつの世にも一定数の人たちが「数」に依らずに物事を判断したり思索を深めていて、そういう「知の観客」に向けて発信するメディアを作りたい。それが東さんが立ち上げたゲンロンの世界なんだとわかりました。
吉雄:なのでゲンロンカフェのトークイベントも、普通のYouTube動画ならば1時間もやらないところを東さんたちは延々と4、5時間もやっている。明らかに長すぎますが、でもそれくらい徹底的に話すからこそ深まっていくこともあると思うんです。
「今、旧友の井上哲が編集者をしている亜璃西社のYouTube配信をお手伝いしています。短く作ろうと思えば作れるけれども、専門家の方がしっかり語る面白さも伝えたい。YouTubeもこれからは多様性の時代。いろんな番組があっていいですよね」
ごちそうさまトーク 演奏して踊る!高校生たちの「ダンプレ」に密着
書店ナビ:UHB時代の吉雄さんは6~8分間の番組を300本以上制作されたとか。ネタ探しから始まり企画・交渉・撮影・編集と相当大変だったのでは?
吉雄:いやー、鍛えられましたね。自分自身が16年半も続けられるとは思ってもいませんでした。道内あちこちを回り、地元の農家さんや漁師さんたちを取材するのがすごく面白かった。地域の中でも新しいチャレンジをしている人に会いに行けるのは貴重な経験でした。
書店ナビ:新しいチャレンジといえば北海道発祥の踊る吹奏楽、北海道札幌国際情報高等学校吹奏楽部のダンス&プレイ、略して「ダンプレ」を熱心に追いかけていましたね。
学校のFacebookでも「UHB吉雄Dが取材にいらっしゃっています。長いお付き合いです。バンドのことをよくわかっていらっしゃるので、メンバーも監督も後援会も安心!」という投稿があり、取材対象者と信頼関係を築いているのが伝わりました。
吉雄:ダンプレは画面の中に動きと音楽があり、しかもその中に若さと青春がある!これ以上映像映えするものはないくらいの題材ですが、僕が何より共感したのは従来の高校吹奏楽界の大会第一主義に一石を投じるその姿勢です。
誰かずば抜けた一人がいたからできた、じゃなくて、皆で新しいことに挑む。そこを視聴者に伝えたい。
これはUHBの上司たちにもよく指摘されたんですが、どうも僕が番組を作ると主人公が一人ではなく複数になる傾向があって「吉雄くん、また?」と言われがち(笑)。
映画も最強のヒーロー、ヒロインが活躍するものより、普通の人同士の関係性が動いていくものに惹かれます。
そういう意味ではダンプレの一連の映像は、自分なりの組織論のようなものかもしれません。時代や社会がグローバルになればなるほど、ローカルな情報発信が大切になってくると信じたい。自分も北海道でその一端を担えていけたら、と思っています。
書店ナビ:北海道書店ナビとも何か面白いコラボレーションができるといいですね。人生というドキュメントに向き合った著者たちのフルコース、ごちそうさまでした!
吉雄孝紀(よしお・たかのり)さん
1966年函館市生まれ。札幌西高校時代から8ミリフィルムで自主映画を作り始め、1990年小樽商科大学時代に劇場映画『へのじぐち』を制作。93年~99年、札幌の企画会社「ゼブラ・プラネッツ」に勤務。東川町「写真甲子園」の立ち上げに関わる。2000年~2004年、地下鉄自衛隊駅前で「屋台劇場まるバ会館」を主宰。2004年からUHB北海道文化放送の夕方のニュース枠で報道特集を300本以上制作。2021年4月からフリーで活動。北海道教育大学・岩見沢校非常勤講師。